本来、子どもはわがままを言いながら成長をします。
反抗期があるのは自然なことで、親にわがままを言えるのは、「どんなことがあっても、お父さん、お母さんは私のことを嫌いにならない」と信頼しているからです。
児童精神科医の佐々木正美氏は、「家の中でわがままを言える子は『安心』です。逆に、家でいい子でわがままも言わず、勉強もできる子ほど、将来心を病む子が多いんです」と述べています。
本当はわがままを言いたいのに、わがままを言えない子というのは、親が自分を愛してくれているか不安で仕方ない子です。そして、私がまさにそのような子でした。
子ども時代は、自分の考えを持つことは禁止されており、母の意にそぐわない発言をしたり自由意志で行動した場合には母に何をされるか分からないという恐怖の中で育ちました。
ある時には、母の非常識な行動に対して抗議しただけで、当時小学生だった私を一人家に残して、私以外の兄弟全員を連れて家出をする演技をされました。(数十分後に帰宅しました)
自分の親にこのようなことをされるのは非常に悲しいことです。
これは私に対する怒りの行動という意味だけではなく、私の兄弟たちに対しても、もしも母に対して抗議をしたらどうなるのか、見せしめの意味が込められていたように思います。
このような子ども時代を送った私の例は極端なほうだと思いますが、親の期待通りの行動をした時のみ褒められるという、条件付きの愛情しか与えられずに育てられた子どもたちは多いようです。
「いい子」でいる時、学校の成績が良かった時だけ褒めてもらえて、それ以外の時には何もフォローしてもらえないと、いつも親の顔色をうかがうようになります。
そしてわがままが言えないストレスが心の中にたまっていき、どこかで必ず出てきます。
家ではいい子なのに、幼稚園や学校で暴力を振るってしまったり、先生に迷惑をかけたりしてしまいます。
でもこのくらいの段階で出てくるような子はまだいいほうです。
長い間心の中にストレスを溜め込んで我慢をし続けている子は、そのストレスを溜めきれなくなって必ずどこかで出てくるのです。
溜め込んでいる時間が長ければ長いほど、
溜め込んでいるものが多ければ多いほど、
予想もしないような恐ろしい形で出てきてしまうんです。
突然、家に引きこもって何もできなくなってしまったりとか、
いきなりキレて周りの人に危害を加えてしまったりとか…。
(中略)
家の中で、わがままを言える空気かどうかってことなんです。
わがままを言える雰囲気…安心感が大事なんですね。比田井和孝著『私が一番受けたいココロの授業 子育て編』より引用
「ウチでわがままを言える子は安心だ」と知っていることが大事なんだそうです。
「いい子」(親にとって都合の良い子、という意味だと私は捉えています)のストレスで、脱毛や寝ぼけ、夜泣き、おねしょ、指しゃぶりなどの症状が出てくることもあります。(参考文献 本吉 圓子著 『あふれるまで愛をそそぐ6歳までの子育て』)
わがままを言えるというのは、それだけ親子の間に強い信頼関係が築けているということです。
私もシッター先で、子どもたちがわざとわがままを言ってきたりもしますが、
「ああ、こんなに私のことを信頼してくれているんだな」と嬉しくなります。
そして子どもの気持ちを聞いて気持ちに共感して、たくさんスキンシップをして、一緒にたくさん遊んでいるうちにだんだんと無理な要求はしなくなってきます。
私は幼少期より自分の気持ちを抑えつけた生活をさせられていたため、長い間、体の不調などに悩まされていました。
私がシッターをする際には、子どもたちがこのように心を閉ざすことなく、安心して自分の気持ちを言えるような関係を築くことを心がけています。